2010年2月12日金曜日

魂の糧。O氏の死者の書。

アントニーのライブを観に草月ホールへ行ってまいりました。
5年前、『アイ・アム・ア・バード・ナウ』とCD屋さんで出会って以来、一番来日を待ち望んだアーティストかもしれない。

昔しおんちゃんと一緒に住んでいた頃、夜になると毎晩これしか流さない為に暗い!と怒られない男であるこの松本が、怒られた事がある。

前に、某インタビューで2000年以降のベスト3アルバムを挙げて下さいって言われた時、私はアントニー&ジョンソンズをその中に入れる事だけは迷わなかった。

そして今夜2000年以降のベストライブにも入ってしまったかもしれない。
その位果てしなく素晴らしいものだった。
彼が素晴らしくない訳がそもそもない訳なのだが、わしの超高まった想像ラインを超えられた。


ジョンソンズのメンバーが一人しかおらなんだのが少し残念じゃったけど、アントニーの切迫された猛々しいその優美な歌声を生で聞けて、その歌の力、音楽の力で、大袈裟じゃなくて、もうわし死んでもいい、とか思ってしまった。

何よりアントニーが芸術の父と讃える大野一雄氏の事を彼が心の底から尊敬している事が観ている人、誰しもに伝わる公演で、その彼が大野氏の祖国日本で公演するとなると、その気合いの入れよう、本気度が半端じゃなかった。

そして大野慶人氏の舞踏も性別を超越し、神神しく、とても崇高なものだった。
これは超個人的な事なんじゃけど、大野慶人氏はわしの死んでしまった祖父にめっちゃソックリで、大変失礼かもしれないが、じいちゃんが死後の世界、天国の様な所で踊っている様に見えた。本気でそんな風に見えた。
なんだかもの凄く遠い気持ちになった。身体は会場の椅子に座っておれど心はどこか違う所へ行ってしまったかの様。

神なんていない、と思っている人はこの世にどれほどいるだろうか。少なくとも私もそう。今の処宗教などにも興味もあまりない。
だけど、神々の存在を認めてしまえる気持ちになる、本当に。神の存在や死後の世界が幻想でなくどこかにあると感じれる様に。そうでしか説明できない音楽、芸術もある。

そして何より心が動いたのはアントニーは心の底から、愛してるや、助けてくれって涙ながらに歌っていた。というよりもっともっと深い、何か魂が叫んでいた。だからめっちゃ心がグワングワン揺さぶられた。
音楽の力ってほんま凄いね。
本気で歌うとか嘘のない様に、、とかなんて次元の低い話なんだ、と思わされた。


公演が終わった後、しばらく何の音も耳に入れたくなくて、耳を塞ぎながら帰ろうかと本気で思う自分がいて恐怖した。
そして「O氏の死者の書」の言葉、「足が私に遠出を強いる」の言葉通り、電車に乗らずずっと歩いて帰ってしまった。
めっちゃくそ寒かったし、暗い夜道を一人で歩いていると暗黒舞踏家が後ろから近づいてきてる気がしてギャルみたく少し怯えた。



今回ばかりはやる気が出た!とかそんなんじゃなくて、なんだか脱力した。
浄化されたとかいうニュアンスではないな。
明らかに私は疲れた。ドッと疲れた。


大野氏から与えられたものをアントニーは「私の中の聖なる幼児を発見すること」と言い、「その子供を育て、抱きしめ、守ることが私の願い」と言っている。

今夜観た事、発見しそれを育て抱きしめ守る事。そんな事がこんな私に出来るのだろうか。一粒の砂ほどの私に出来るのだろうか。ロンサムバレーに片足がかかる。少し自暴自棄になる。



とおる。