2009年12月3日木曜日

脳みそと間抜けな凡暗。

最近は家に居る事が多く、気を晴らす為だけに外出するというなんとも、かんとも、いかんともしがたい日々だ。わしがトップアスリートなら、身体を動かす勘を取り戻す為に数日はかかるほどの、運動不足だろう。
それがたたってか、タタリ祟ってか、ボケが激しいこの頃。わかりやすい事件に出会う。

日々何か思い付いた事をザっと撲り書くノートを持ち歩くが、しょうもない事さえザっと書くご様子で即ぐノートが終わる。 では新しいノートをコンビニに買いに行こうというのだが、恒例の赤い色ダースも一緒に買おうか、いや待てよ、今日は気分を変えて板チョコか、では明治か森永か、いや待てよ、などとブツブツ念仏し、帰りの道中、小学校の頃、手でプップと屁の音を出す事が流行し、わしはそれを極めようと毎日暇を見つけてはプップした。もはやプップやる事が癖になりつつあった。
ある日、小学校野球大会で一応主将であったわしが選手宣誓をする映像を、大会後、家族と共に観た事がある。バッチリ選手宣誓をかまし、列に戻るわしは無意識に両手を重ねあわしプップやっているのである。なんとも格好悪い、ふうが悪い。

しかしながら今思えば無意識でソレをやってる事は何気に凄いぞ、凄いぞ少年期のわし、と考えた。無意識を意識的に操作する方法はきっとあって、それを音楽にイカせないものか、言うならばプップ、アゲイン。
音楽の世界でも自動筆記、というのもがあってやはり無意識の中で勝手に創作をする方法。実は前作「Matin Brun」でチャレンジしてみようとした方法なのだが、無理だった。夢の中とか、霊的なものに取り憑かれてる時とか意識とは別の世界で描く。クラシックや現代音楽の人とかは普通にチャレンジするアプローチらしいのだが、実は誰もが実現可能なアプローチ法なのではないか、と今一度思った。
その選手宣誓時の想い出から辿れば、ようは最初は意識的にでも続ける、いや、もはや続けるという意識すらないほどに、所謂、癖の域にまでもっていく。プップみたく。仮に作曲作業もその位すれば、無意識に勝手に作品がバンバン産まれていく、みたいな事はないだろうか。さすがにそれはなくとも、日々ずっと作詞について考えてる人は、ハッ!っといい言葉が思い付く度合いが普通の人に比べてやはり高いのではないか。少なくとも普通の人より脳が勝手に作詞に対して考える様になっているのではないか。所謂自動筆記にちょっとだけ近い、なんかそうに違いない気がする。
みたいなみたいなみたいな事をう〜んう〜ん妊婦の様に言いながら家に帰ると、
なんと、ノートを買い忘れて、板チョコだけ買って帰っている!!
なんとなんと!
自動筆記云々言う前に意識して買いに行ったノートを買い忘れている。
なんとなんと、脳、深い。皺の数、伊達じゃない。
っていうか俺はもうボケ始めているのか。


まさに戯れ言日記であったが、今年ライブはあと4回。

12.06 British Anthems
12.13 下北沢シェルターでのワンマン
12.24 新代田フィーバーでプラズとの企画
12.28 渋谷QUATTRO

中でもやはりツアーファイナルとなる13日は絶対何かしらの事件が起こるので来といた方がいいです。
松本も自動筆記ならぬ自動プレイでイきます。


とおる


★祟られたのぶちゃん


★秘境祭の時の写真





★10代の頃のpsysalia.
photo by Gavin Watson